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化粧療法 [cosmetic therapy]
近年、多くの研究によって明らかになってきた化粧行為のもつ心理的、生理的な効果を、医療分野の臨床場面で治療に活用して、症状の改善に役立てようとするもの.コスメティックセラピーともいう.さらに広義では、日常の生活場面に化粧行為を上手に取り入れることにより健康増進をはかろうとすることともいうことができる.
背景
これまで化粧品はたんなる嗜好品としてとらえられ、個人的なレベルでの欲求を充足するもので、社会に対して積極的に意味をもつものとして考えられることはなかった.しかし化粧品は、たんに容貌を変化させる、皮膚の性状を整えるという機能を超えて、ストレス緩和や心の活性化という心身の健康にまで影響を及ぼすことが多くの研究の蓄積を通して明らかになってきた.化粧行為が、生きる気概や生活の充実感といった人の精神的な側面を活性化させて、生活の質(QOL)の向上に寄与できることが、科学的に証明されつつある.ストレス社会、高齢化社会が加速するこれからの時代、化粧行為の果たす役割も拡大していくと考えられる.実際医療の分野では、効果を重視した治療から患者のQOLをも考慮した治療への転換期を迎えている.代替医療や東洋医学的アプローチも取り入れた全人的医療も志向されるようになってきた.このような流れの中、化粧行為の心身へ働きかけを積極的に医療に活用しようという機運が高まり、さまざまな臨床場面で化粧行為の適用が試みられている.いくつかの代表例を紹介する.(1)メディカルソワンエステティック先天性のあざや火傷のあとなどの治療には植皮術が行われているが、術後は瘢痕や植皮の性状変化を残すことから、さらなる皮膚状態の改善や精神的苦痛の緩和が求められている.このような植皮術後のケアに効果をあげているのがメディカルソワンエステティックである.メディカルソワンエステティックは、メディカルスキンケア、メディカルメーク、メンタルケアの三つのケア技術からなる.①メディカルスキンケア:植皮生着後の皮膚にエステティックマッサージを施すことにより治癒過程を促進し、色、質感、形状などの皮膚性状を改善するもの.②メディカルメーク:術後の瘢痕、あざなどを隠ぺいするとともに患者の魅力を引き出すこと.③メンタルケア:治療に対するモチベーションを維持させ、患者の自信回復や社会復帰をサポートしていくこと.調査結果によると皮膚外観はもちろん、心理的にも改善されたと患者が自覚し他者からも好ましい評価が得られていることが示されている.(2)精神医学的疾患への適用同志社大学の研究が有名である.うつ病者、精神分裂病者、老人性痴呆症者などに対し、週1回化粧熟練者によるメークアップを施すことを繰り返した.これらの人々は感情の制御やコミュニケーション能力が衰えるなどの症状を示すが、メークアップの施術を継続することによりこれら症状の好転が観察された.無気力であったうつ病者への適用では、患者が口紅の色に合わせてみずから用意した洋服に着替えるといった積極的な行動を示すようになった.徘徊癖のあった痴呆者の例ではメークアップを施しているときはじっと椅子に座っており、回を重ねるごとにほかの生活場面でも徘徊行動が減少した.メークアップを施すことにより美しくなり魅力を増すということが、ネガティブになっていた自己イメージを改善し、感情の活性化をもたらしたと解釈されている.三重大学ではうつ病が自律神経系、内分泌系、免疫系の異常を伴うことから、その原因はストレスによるホメオスタシス(恒常性維持)の調節異常にあるという仮説のもと、香りを治療の補助手段として活用し効果をあげている.男性うつ病患者を対象に、動物実験のスクリーニングにより抗ストレス、抗うつ効果の確かめられた柑橘系香料を病室に漂わせハミルトンうつ病評価尺度(HRSD)とともに免疫系、内分泌系の指標を継続的に測定した.すると、抗うつ薬の減量が可能となり、2〜3カ月後には大半の被験者においてHRSD評価の正常化とともに投与量をゼロにすることができた.また、治療前に多く見られた尿中コルチゾール値、リンパ球サブセット、ナチュラルキラー細胞活性の異常も正常範囲に収束し安定した.香りを使った治療によって恒常性維持機能が改善したことを示唆するものである.
今後の課題
疾患をもつ者への対応はデリケートになされるべきであり、化粧療法の適用には専門医や臨床心理士、熟練した技術を有する者との連携が不可欠である.また、これら化粧療法の作用機序にはまだまだ不明な点が多く、化粧行為が疾病に効果があるという妄信からやみくもに治療に取り入れることは、逆に化粧療法のもつ可能性を狭めることにもなりかねない.科学的な実証を積み重ね、化粧療法の有効性を説明する理論を確立させることが今後の課題である.(奥田剛弘)