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香水 [perfume、 (仏)parfum]
フレグランス化粧品の一つ.パルファンともいう.一番香料濃度の高い商品で、アルコール度数(水溶液中のエタノールの体積百分率)が95%、香料濃度が15〜30vol%である.香調によって異なる場合があるが、一般的な香りの持続時間は5〜7時間である.その香りは最先端の科学(化学)技術を駆使してつくられた合成香料と自然の恵みである天然精油から、調香師によって生み出される.フランスでは、一流の調香師のことを“ネ”(NEZ、フランス語で鼻の意味)とよび、“ネ”が鼻を使って、新しい香りをつくり出す過程は、画家が絵を描くのと同じに例えられ、香水は香りの芸術品といわれる.製造その処方は、エタノールに香料が入ったもので、添加剤は、色素、紫外線吸収剤、酸化防止剤などがある.製品によっては、保湿剤、植物抽出物が使われ、エタノールの含有量の低い香水では、増粘剤や調合香料を溶かすための可溶化剤が使われる.高級香水ではチンキが使用される.香水やその他のフレグランス化粧品の一般的な製造方法は、エタノールに香料、紫外線吸収剤、酸化防止剤などを添加した後で必要に応じて精製水を加え、色素を添加する.そして、その後冷暗所で長期間保存する.これは、香りをその期間中に熟成させるためと、天然物にはろう(ワックス)成分などの製品系に基本的に溶解しないものがあり、それを除去するためである.熟成は、エタノールのきつい香りをマイルドにし、香り自体を荒々しさからまとまりのあるものにさせるプロセスであり、この間に、温和な化学反応が進行する.たとえば、香料中のアルデヒドやケトン類はエタノールと反応して、ジエチルアセタールやケタールになり、生成したものの香りはマイルドで、かつ深みのある高品質なものになる.歴史香水の始まりは、14世紀末、ハンガリーで登場した“ハンガリーウォーター”であるといわれている.これは天然精油のローズマリー油を主体にバーベナオイルやローズウォーターなどをブレンドし、アルコールに溶かしたものであり、香水の原型といえる.そもそもはハンガリーの女王、エリザベートの若返りの秘薬としてつくられ、これをつけた72歳の彼女はポーランドの王に求婚されたという逸話がある.なお、この香水を伝えたのはフィレンツェの修道尼であったといわれている.フィレンツェはイタリアルネサンスの中心となった都市で、香料製造研究所が、1508年にサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院内に世界で初めてつくられた.ルネサンスの精神によって、ギリシャ・ローマ時代、香りをふんだんに使っていたことが見直されてのことである.こうした動きを支えていたのは、フィレンツェを支配していたメディチ家である.1533年、後のフランス国王アンリー2世にメディチ家からカトリーナ・ディ・メディチが嫁いだ.彼女はフィレンツェの香りの文化と技術のすべてを南仏の町グラースに注ぎ込み、香料産業の端緒を開いた.彼女にイタリアから同行した調香師は、グラースで盛んだった皮革製造業に注目し、皮手袋につける香料を創作した.匂いつき手袋は成功し、グラースが香りの聖地になっていく礎となった.世界初の香料製造研究所があったサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院は、いまもフィレンツェ中央駅の真ん前に、町のシンボルサンタ・マリア・ノヴェッラ教会として残っている.その教会では、彼女がフランスにもっていった同じ処方の香水“アックア・デッラ・レジーナ(王妃の水)”が売られている.同時にここでは、1725年にジョバンニ・パオロ・フェメニスがドイツのケルンにもっていったオーデコロン“アックア・ディ・コローニア(コロンの水)”も販売されており、歴史の重さを感じることができる場所である.18〜19世紀は、ときの権力者、国王や皇帝の夫人や愛人たちが香りを愛した時代である.ルイ15世の愛人、ポンパドール夫人はムスク(麝香)の香り、それに対抗するかのように、デュ・バリ夫人はアンバーグリースの香り、ルイ16世の夫人、マリー・アントワネットはバラとスミレの香りと、それぞれ好みがある.ナポレオンの最初の皇后ジョセフィーヌはファッションとバラの栽培に力を入れ、バラとムスクの香りが大好きであった.ナポレオン3世の皇后ウージェニーによってファッションと香水産業は庇護されたことで、グラースは香りの聖地の地位を確立した.現状現在の香水文化ができあがったのは、ここ100年あまりのことである.女性用のフレグランス化粧品であるさまざまな香水が誕生してきた背景には、有機化学の発達によって多くの合成香料が生み出され、原料素材が充実したことが大きい.しかしながら、社会的な時代背景、時代風潮を抜きにしては語れない.すなわち女性の社会的な地位の変遷の影響である.女性が男性に従っていた時代、開放的になった時代、社会進出した時代があり、また戦争の前、最中、後ではまったく異なる.さらに、自然環境が重視されてくると、これにもその時代のファッションは大きく影響され、同時に、香りのトレンドも大きく影響を受けるのである.(→総論11章)(浅越亨)